2017年12月27日

耳から学ぶ 「セイクレッド・スター」理論編 第42章「風水学の原理」-聴きものがたり



耳から学ぶ 「セイクレッド・スター」理論編 第42章「風水学の原理」-聴きものがたり

セイクレッド・スター 再生リスト

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2017年12月26日

朝ドラ「わろてんか」あらすじ予告 第73話 12月25日(月)~第76話 12月28日(木)放送分 -聴きものがたり



朝ドラ「わろてんか」第73話 大会社になった北村笑店 12月25日(月)放送分 -聴きものがたり

朝ドラ「わろてんか」 再生リスト

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2017年12月24日

耳から学ぶ 「叡智の教え」2 第一篇 叡智の閃光 第二章 魂の変容 -聴きものがたり



耳から学ぶ 「叡智の教え」2 第一篇 叡智の閃光 第二章 魂の変容 -聴きものがたり

叡智の教え 再生リスト


「叡智の書」 日向美則 著 京都修道院出版局 発行 より抜粋

第一篇 叡智の閃光

第二章 魂の変容


人類の進歩と未来

 樹を見て森を見ずと云う。反対に森を見て樹を見ずという。
 これは人間が陥りがちな知識の偏狭性や独断、押しつけがましい主義主張に対する教訓である。
 特に、宗教や哲学、心霊科学等、人間の精神面に関わる部門は元より、現代に於けるあらゆる諸科学、特に医療部門、教育部門に於いて、この種の独断と偏見が顕著にみられる。

 今の地球人類は進歩向上どころか、自我至上主義と、及び右脳と左脳のアンバランスから退化しつつある。少し精神世界に関心を抱く人ならそのことを認めざるを得ないであろう。
 地球及び人類の未来が悲観的絶望的と云い切っているわけではない。しかし、もし新しい地球、新しい人類の未来があるとしたなら、それは多分統合の時代であろう。これ迄の地球及び人類が対立と分離の時代であったとするならば、新しい時代は人類と地球の協調時代、そしてあらゆる分離し対立していたものが一つの叡智の元に統合され調和する時代へと移行してゆくのであろう。そうでなければ、人類の進歩と永生は望めそうもない。

 宗教の部門一つとってみても、余りに対立や相剋が多すぎる。けれども、一部では希望的観測もある。例えば、近年、キリスト教聖職者、修道院の修道者達が禅に関心を持ち、実際に坐禅を修する人々が多く現れている。この現象は、彼らが信仰と共に、自己の内なる真我に目覚めようとする霊性本能の現れであろう。禅が、彼らの信仰にとってどれだけプラスになるかは別問題として、このように、禅に関心を抱くことは、それだけ彼らの信仰的視野が広くなるということである。
 一方で、佛教徒にとっても聖書は日常生活の規範、信仰生活の指針となる点が多い。例えば、ルカ伝「山上の垂訓」と云われる個所、また「ヤコブの手紙」の五つの章などは、恰も佛陀の言葉を聞いているようにさえ思える。ここには、キリスト教とか佛教とかの宗教を超えて、人類の先達が残した偉大な普遍的「古代の叡智」を見出す思いがされる。

 われわれは、人類の精神的財宝の代表として、佛陀の教え(経典)やイエス・キリストの教え(新約聖書)その他を共有しているが、また他にも「古代の叡智」の多くの財宝に恵まれている。それ等は枚挙に暇(いとま)がない。
 心霊科学や神智学、人智学等も、科学的合理的なものしか受けつけないという人はともかく、少しでも精神的世界に探究心のある人にとっては、霊的視野を広げてくれるという意味で興味深いものがあろう。
 しかし、ここで注意しなければならないことは、それらのものに余りのめり込み、踏みとどまるな、ということである。それらが恰も樹を見て同時に森を見ているかのように見えても、それは違う。それは或領域の霊的次元から見た霊的俯瞰図であって、もっと高位に立って眺めた霊界大森林の俯瞰図もまた無限にある。


言霊(ことだま)の響き

 古今東西の大師達の多くの霊訓、心霊科学、神智学、人智学などの文献、エドガー・ケーシーのリーディング、その他の霊的文献の多くが、尨大な霊的知識を提供している。それらは、聖書にも佛典にもない霊界の展望を与えてくれる。
 しかし、万巻の霊的文献を読破し、霊的知識に於いて世に比類なき智慧を得たとしても、尚彼は魂の救いに関する道案内人となることはできない。
 例えば、喉の渇いた人を水飲み場迄連れていったとしても、実際に水を飲まなければ、渇きは癒されないのである。
 そして、世に行われているすべての霊的文献が魂の救いには何の役にも立たぬと云ったならば、驚く読者があるかもしれない。霊に関しては学べば学ぶほど空しくなる。知れば知るほど魂は渇く。

 信仰よりも知識が先だ、と述べている人もある。余りに盲目的狂信的な信仰やその宗教団体が多い所から見ると、信仰よりも知識を優先せざるを得ないかもしれない。だが、その知識とは一体何なのか? 何を以て宗教の正邪真贋を見分けようというのであるか? 何を基準にして宗教を評価しようとするのであるか? 知識は宗教、信仰に優先するのであるか?

 悟りの世界にあっては頭の知識では何の役にも立たない。それでは人の魂を救うことはできない。例え、いざりを立って歩かせ、病人を直ぐに癒す奇蹟を見せたとしても、彼が人の魂を救うことができなければ、彼は単なるこの世的心霊施術者に過ぎない。
 この種の奇蹟は多くの宗教に於いて?、見受ける。低位の霊界次元に於いてもこの種の神通力は得られる。掌から宝石や貨幣を出したとしても、それだけのことである。

 本書は読者に頭の霊的知識を提供することを目的としてはいない。
 知識は信仰に優先するのではなく、信仰は知識に優先する。信仰はまた、行動の中にあり、行動は信仰の実在を照明し、且つ悟りの契機ともなる。しかし、これも問題は単純ではない。
 それでは、如何に行動するか? ここに、知識が必要になってくる。その知識は単なる頭の知識ではない。魂に響くもの、ハートを直撃するもの、魂の発火点となる知識である。
 それは、悟りから出た知識であり、悟りの言葉は、つまり言霊(ことだま)の響きを持つ知識である。
 こうして、知識と云っても一概には云えない。
 信仰を知識に優先させることも、知識を信仰に優先させることも、一概に断定的に云うことはできない。
 多くの場合、人間の言葉や概念は、恰も水中の光線が曲がって底に達するように、真実が少しずつずれて脳裏に描かれる。
 読者は何事に於いても、特に霊的な事柄に関しては決定的、断定的な態度は避けるべきである。人間の頭と言葉は霊的真実をねじ曲げるのである。

 宗教的真実は言霊(ことだま)の中にある。言霊(ことだま)というのは言葉そのものが生命の響きを持っている場合をいう。例えば、イエスが跛(びっこ)に「立って歩け」と言った時、言葉は同時に力であった。このように、言葉が生命を持つ働きをする場合がある。佛陀の場合にもそれがあった。そして、世の中のあらゆる霊訓にしても、それが真に大師から発せられた生命の言葉であるならば、読者の魂に響き、魂に変容をもたらす何かの働きが現れる。
  
  
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2017年12月22日

耳で読む ルドルフ・シュタイナーによる魂のこよみ 38.12月22日~28日 -聴きものがたり



耳で読む ルドルフ・シュタイナーによる魂のこよみ 38.12月22日~28日 -聴きものがたり

ルドルフ・シュタイナーによる魂のこよみ 再生リスト

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耳から学ぶ 「セイクレッド・スター」理論編 第41章「占学の原理と法則」-聴きものがたり



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セイクレッド・スター 再生リスト

posted by 聴きものがたり at 07:30| セイクレッド・スター | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする